12/28(金)18時ちょうどに、12年間喜怒哀楽をともにしてきた愛鳥のぴーちゃんが永眠。1993年(とり年)1/3、まだはえそろわない羽をバタつかせ、我家の縁側から家に飛び込んできた。当初は、噛まれて流血したし、カゴの中で騒ぐし、かわいげのカケラも感じられなくて「焼き鳥にしてやる!」なんてよく怒ってたけど、次第に仲良くなって、数ヵ月後にはなくてはならない存在になったんだ。私が怒ってると目を吊り上げて「キキィ!」って一緒になって怒って、笑ってればカゴの中でクルクルまわって、泣いてると涙をぬぐいに来てくれた。一緒に眠ったり、大空を飛ばせてやりたくて空に放した時もあったっけ。この12年の思い出のシーンには、必ずどこかにぴーちゃんがいた。先月私が心と体を壊したあたりから、突然ぴーちゃんまで様子がおかしくなった。いつも私の映し鏡だったぴーちゃんだから、また私と同じになっちゃったんだって思った。でも私、少しずつ元気を取り戻してたのに、これからはお休みの日はいつも一緒にいられるはずだったのに、もっともっとずっと一緒にいるはずだったのに、ぴーちゃんは私を置いて逝ってしまった。…だけど、ぴーちゃんは、こん睡状態になりながらも、私の帰りを待っていてくれた。私の手の中でゆっくり息をしたり、力なんて残ってないくせに頭を持ち上げたり、いつものように「ぴーちゃん」って呼びかけると、声にならない声でこたえてくれた。ぴーちゃんは、私を置いて逝っちゃったんじゃなくて、私の重荷をどこかに運んでいってくれたのかもしれない。私が泣き喚いてる時は静かにそんな私を見守っていてくれてたけど、私が泣き止んで笑いかけたら、その瞬間大きく羽ばたいて、逝ってしまったんだもん。そんなタイミング、あるわけないじゃん!って思うけど、ひとひらの嘘もなく、そんなタイミングで逝ってしまったんだ。私に心の準備をする時間をくれたのかも。それか、笑った私を見て、安心したのかな?先月の心神喪失からなかなか立ち直れずに、苦悩や後悔や悲哀なんかを背負って歩いている私を見るに見かねて、そういう暗いモノ、持ってっちゃってくれたんじゃないかしら。あんなちっちゃな体で、私の中のどす黒いもの、ドロドロしたもの、重ーいもの、たくさん持って。考えてみると、ぴーちゃんがいつも私の映し鏡をしてくれていたのは、私のダメージを半分受け持ってくれて、私のハッピーを倍増させてくれる為だったのかもしれない。ぴーちゃんは、私がぴーちゃんを愛したのと同じか、それ以上の愛情を私にくれた。ここ1ヶ月で、いつも隣にいた存在がふたつも消えてしまった。だけど、ぴーちゃんの死は無駄にはしません。身を持って私に「現実を生き抜いて!」って教えてくれた。これからの私が歩きやすいように、荷物まで持ってくれて。だから私、寂しいけど、やっぱ悲しいけど、でも泣いてばっかもいられない。泣いたらぴーちゃんに突かれる(笑)
ぴーちゃん、12年、たった12年だけど、隣にいてくれてありがとう。体はなくなっても、これからもずっと、心の中で一緒だから。いっぱいいっぱい、ありがとう。 |