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日々の暮らし 心境の変化 新しい発見

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思考回路、故障中。
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ありがとう [2005年12月31日(土)]
12/28(金)18時ちょうどに、12年間喜怒哀楽をともにしてきた愛鳥のぴーちゃんが永眠。1993年(とり年)1/3、まだはえそろわない羽をバタつかせ、我家の縁側から家に飛び込んできた。当初は、噛まれて流血したし、カゴの中で騒ぐし、かわいげのカケラも感じられなくて「焼き鳥にしてやる!」なんてよく怒ってたけど、次第に仲良くなって、数ヵ月後にはなくてはならない存在になったんだ。私が怒ってると目を吊り上げて「キキィ!」って一緒になって怒って、笑ってればカゴの中でクルクルまわって、泣いてると涙をぬぐいに来てくれた。一緒に眠ったり、大空を飛ばせてやりたくて空に放した時もあったっけ。この12年の思い出のシーンには、必ずどこかにぴーちゃんがいた。先月私が心と体を壊したあたりから、突然ぴーちゃんまで様子がおかしくなった。いつも私の映し鏡だったぴーちゃんだから、また私と同じになっちゃったんだって思った。でも私、少しずつ元気を取り戻してたのに、これからはお休みの日はいつも一緒にいられるはずだったのに、もっともっとずっと一緒にいるはずだったのに、ぴーちゃんは私を置いて逝ってしまった。…だけど、ぴーちゃんは、こん睡状態になりながらも、私の帰りを待っていてくれた。私の手の中でゆっくり息をしたり、力なんて残ってないくせに頭を持ち上げたり、いつものように「ぴーちゃん」って呼びかけると、声にならない声でこたえてくれた。ぴーちゃんは、私を置いて逝っちゃったんじゃなくて、私の重荷をどこかに運んでいってくれたのかもしれない。私が泣き喚いてる時は静かにそんな私を見守っていてくれてたけど、私が泣き止んで笑いかけたら、その瞬間大きく羽ばたいて、逝ってしまったんだもん。そんなタイミング、あるわけないじゃん!って思うけど、ひとひらの嘘もなく、そんなタイミングで逝ってしまったんだ。私に心の準備をする時間をくれたのかも。それか、笑った私を見て、安心したのかな?先月の心神喪失からなかなか立ち直れずに、苦悩や後悔や悲哀なんかを背負って歩いている私を見るに見かねて、そういう暗いモノ、持ってっちゃってくれたんじゃないかしら。あんなちっちゃな体で、私の中のどす黒いもの、ドロドロしたもの、重ーいもの、たくさん持って。考えてみると、ぴーちゃんがいつも私の映し鏡をしてくれていたのは、私のダメージを半分受け持ってくれて、私のハッピーを倍増させてくれる為だったのかもしれない。ぴーちゃんは、私がぴーちゃんを愛したのと同じか、それ以上の愛情を私にくれた。ここ1ヶ月で、いつも隣にいた存在がふたつも消えてしまった。だけど、ぴーちゃんの死は無駄にはしません。身を持って私に「現実を生き抜いて!」って教えてくれた。これからの私が歩きやすいように、荷物まで持ってくれて。だから私、寂しいけど、やっぱ悲しいけど、でも泣いてばっかもいられない。泣いたらぴーちゃんに突かれる(笑)

ぴーちゃん、12年、たった12年だけど、隣にいてくれてありがとう。体はなくなっても、これからもずっと、心の中で一緒だから。いっぱいいっぱい、ありがとう。
Posted at 01:21 | この記事のURL | コメント(2)

新しいわたし [2005年12月19日(月)]
11/20に一過性健忘症と過呼吸を併発した私。一瞬にして過度のプレッシャーとストレスがかかるような出来事が起こり、過呼吸になって失神した挙句にその後半日の記憶が飛んじゃった。衣食住に対する全ての欲求がなくなり、飲食も睡眠もできず、入浴もしなくなった。トイレも行かず、まともに話すことや歩くこともできなくなった。目の焦点は合わず、手足は常に冷たくしびれ、泣きわめくか無表情のどちらかになってしまった。奇行や狂言もあった。学校に行くどころか、日常生活が送れなくなった。こころがバラバラになってしまった。そんな私のそばにずっと居てくれたのは、他でもない、パートナー氏でした。私の実家で、私の世話をし続けてくれた。本当に感謝。。。 たまに顔を出す正常な自分が、おかしな自分を叱咤する。でも正常な自分はすぐおかしな自分にこころを乗っ取られてしまう。そんな状態が1ヶ月続いている。
きっかけは何にせよ、わたしをそんなに追い込んでしまったのはわたし。そうしなければ今のわたしへと続かない、今のわたしにたどり着く為のプロセスだったんだとさえ思える。その間たくさんの存在に支えられてきた。たくさんの人がいろんなカタチでわたしを支えてる。それはそれは辛抱強く。本当に辛抱強く。たくさんのカタチの愛情をもらった。うれしいもの、気持ちの軽くなるもの、切ないものもあった。
世の中にはどうにもならないことがある、なんてよく聞くセリフだけど、それは本当。"すき"や"大切"の表現方法がたくさんあることも、自分が信じてきたことややってきたことが正解ばかりでなくとも、少なからず間違っていなかったこと、時間の流れを感じられなかったこの1ヶ月でさえ、今の自分に続く1ヶ月だったってことも、本当の絆も、たくさんたくさん得た。や、本当は得たんじゃなくて、近くにあったってこと、実感したんだ。
からだもこころもバラバラになってしまって、今はひとつずつ拾い集めている作業中。薬に頼ったり、誰かに頼ったり、自分を甘やかしたり、拾っては崩れ、拾っては崩れ、のくり返し。壊れるのは簡単でも、なおすのが難しいのはひともモノも一緒だね。でも自分と向き合い始めたわたしは、きちんと一歩前進した新しいわたし。『逃げないで向き合う』『1日1日を意識して大切に過ごす』『見えない絆に感謝する』とっても当たり前のことだけど、1回崩れてしまったわたしが再生するための三ヵ条。とても大切な存在と一緒にいることはできなくなったけど、隣にいられないだけで、心の中にいる。だから、失ったものは何もない、得たものしかないって本当に思う。
では、新しいわたしがまずできること。…明日の登校にそなえてもうベッドに入ること!
Posted at 22:55 | この記事のURL | コメント(0)

しんしん [2005年12月18日(日)]
雪が降るときの擬声語に『しんしん』とか『こんこん』って使うけど、今日の雪は『しんしん』な感じです。ゆきがしんしんと降り続いているといったかんじでしょうか。なんだか白銀の世界をあたたかな家の中から眺めていると、夢の中にいるみたいで不思議な感じ。雨のように音はないのに、ほんとに“しんしん”って音が鳴っているみたい。心の中も真っ白になれたような気さえします。
晩夏の段階で今年は暖冬だって聞いたけど、そうでもないようです。四季折々の表情を見せてくれる名古屋、日本。素敵だなぁって改めて思いました。
Posted at 23:48 | この記事のURL | コメント(2)

更新 [2005年12月15日(木)]
プロフィールとバイオグラフィをちょっといじりました。

下書きに保存してある文章はいっぱいあるのに、どれも途中書きになっている。困ったもんだ。。。
Posted at 23:52 | この記事のURL | コメント(0)

わたしのカケラ [2005年12月10日(土)]
わたしは壊れた。ミゴトにばらばらになった。いっこいっこ壊れたカケラを集めて元に戻そうと試みているけど、どれだけがんばっても手の届かないところにいってしまったカケラたちが半分以上戻ってこない。わたしというひとつの存在は、たくさんのカケラでできてたのに、もう戻らないカケラがこんなにもたくさん存在するなんて。ひとはいつだって完全ではないけど、でも幸せを感じさせてくれたカケラの多くはもう戻らないところへ行っちゃったから、今のわたしはスキマだらけ。戻らないところに行ってしまったカケラたちの存在がこんなに重くて必要だったなんて。泣いても泣いてももう戻らない。でも自分で決めたこと。
わたし、止めてしまっている時間をそろそろ動かし始めないと。
Posted at 12:06 | この記事のURL | コメント(2)

ひとりじゃない [2005年12月09日(金)]
今となりに誰もいなくて、自分はひとりだと思うとする。だけど、瞳を閉じてみると、浮かんでくる顔がある。
『ってことは、ひとりじゃない』
わたしには瞳を閉じた時、浮かんでくる顔がいっぱいある。
『ってことは、たくさんのささえがある』
そして今のわたしにイのいちばんに浮かんでくる顔は……私だけの秘密(笑)

わたしも、誰かがどこかで自分はひとりだ、、、って寂しい思いをして瞳を閉じた時、浮かんでくる顔のひとつになりたい。何番だっていい、小さいサイズだって片隅だっていい、そういうひとになりたい。誰かが私の顔を思ってくれるなら、私もいつだってその誰かの顔をこころに思うよ。となりにいることだけが"一緒にいる"ことじゃなく、思い合うことも"一緒にいる"ということのひとつ。同じ空を見ることだって、"一緒にいる"ことのひとつ。"一緒にいる"っていろんなカタチがある。信頼・絆、目に見えないあいのカタチ。

それに気付かせてくれた『だれか』、ありがとう。
Posted at 00:44 | この記事のURL | コメント(0)

Relationship [2005年12月02日(金)]
なかなか完全体に戻れないけど、少しずつ。。。

パァ〜っと気分が上昇し、サァ…っと下降するのくり返しで、結局日々1段ずつではあるけど、高さ1_ほどの階段をのぼっている気がする。それは自分ひとりの力ではなく、みんなが手を差し伸べてくれるから。

今この段階で確信を持って言えることは、リレーションシップがいかに重要かということ。対人間でも、対動物でも、自分にとって大切に思える『全て』との。今回わたしにはそれがあったから、今のわたしでいられるんだと思う。ひとは絶対にひとりじゃないから、だから『人』っていう漢字は1画じゃないんだ。…って金八先生のセリフか。…けど、孤独を望むのであれば孤独も味わえる、逆にそれを望まなければ、誰でもが誰かとリレーションシップを結ぶことができる。それって私にとっては今まで特別な意識を払わなかったほど自然なことだったけど、本当は奇跡なのかもしれない。だって、私には想像もつかない努力によってリレーションシップを意識して築き、保ってきた環境に育った人もいるということを知ったから。何かに属することで自分っていう存在を確認し、孤独を払拭し、満たすという在り方もあるということも。多大なこころの葛藤に悩まされている人もいるんだって知ったの。

11/17から2週間と言う時間が私の中で止まってしまっていました。本当に止まっていた。衣食住に対する欲求も失せ、食べる寝る風呂トイレおしゃれ学校、なにもかもがストップしていました。でも全ては私にとっては必要な時間だったんだよと友達から言われました。確かに、ムダだったとは思えない。泪は在庫が切れています(笑)笑いは納期が遅れています。怒りは発注さえもしていません。今のわたしに必要なものは何もなく、ただ自分に余裕をあげること。物事を解決するのは、できるのは時間ではないです。1年あっても何もしなかったらタダの1年です。1週間あって、自分がそれを意識したら、1週間は未来へ続く1週間になる。自分を焦らせるつもりは毛頭なく、かといって甘やかすつもりもない。ただ何も考えず、何もしない時間を日常の中で自分に与えてやるだけだと思っています。

とてもとても大切な人と出逢い、ずっと一緒にいたいとお互い確認し合っていたけど、結局叶わなかった。互いを大切に想いながら、それでも異なる道を進むことになった。私はいつまでも応援し続けるし、決めた道を曇りなき眼で探求し続けていってくてる信じてる。そしてこれからも変わらぬ想いをそそぎ続けるつもりです。そして私は、何にも属さずとも、自分と言うものを信じて、ひたすら与えられた時間を、人生を、邁進していくのみだと自分に言い聞かせて日々過ごしていくつもりです。

まとまりのない文章になりました。言いたいこともよくわかりません。ただ、『リレーションシップの大切さ』『世の中にはどうにもしようのないことがある』とても身にしみました。
Posted at 23:20 | この記事のURL | コメント(1)

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